私の妻はミニマリストです。
もう少し正確に表現すれば、ミニマリスト寄りの人間です。
そして、ご存知の通り、私は防災重視の考えで生活しています。
物を最適化したいミニマルな考え方。
物が余分にあることが悪でない防災の考え方。
この2つは共存が難しいと感じる事があります。
そんな難しさ。そして、ミニマリストの方の防災を私から見るとどう見えるか?などについてお話します。
ミニマリストと防災は相性が悪い
防災には備蓄や装備、沢山のモノが関係してきます。
一方でミニマリストは、自分に本当に必要なもの以外を排除しようと考える人です。
この2つはモノをめぐって、相反する考えでもあります。
防災用品は普段使わない事がほとんど。
日常で使えるモノだとしても、その量は日常の必要量を遥かに超えて保持することになります。
そして、場合によっては普段では持つ必要すら無い物も備える必要があります。
例えば、スマホ用モバイルバッテリー。
私の場合、普段なら、モバイルバッテリー自体が必要ありません。
自宅と会社にはどちらにも充電できる環境があって、移動中にバッテリーが無くなる事は今までほどんど無いのですから。
しかし、災害を考えれば、数日~数週間の停電が発生する事は充分考えられます。
この様な、長期の停電を想定するなら、モバイルバッテリーが必須の装備となるのです。
しかも、私の場合、モバイルバッテリーだけでは数週間は持たないので、ソーラーパネルまで加える程なのです。
ミニマリストからすれば、不要なものが増えると感じることでしょう。
「こんなに、本当に使うの!?」・・・と。
これに対する回答として、
「いや、普段は使わないよ」
となるわけで、根拠無しに納得するのは難しい事だと思います。
有り難いことに、妻は防災については理解をしてくれているので、非常に感謝しています。
悩ましいのは、これだけ災害対策を調べている人間からしても、妥当性を証明出来ない事。
備えた防災用品を使うかどうかは、その時になってみないと分からないのです。
想定する被害レベルの違い
災害時に必要となる物は、震源、被害の程度、種類、時間、天候や気温などで大きく変わってきます。
どこまで見込んで準備するか?
がミソなのですが、見極めは難しいです。
正直な所、通常レベルの災害であれば、それ程入念な対策は必要無いと考えています。
少しの間、耐え忍べばすぐに日常が戻るからです。
私が心配しているのは、南海トラフ巨大地震。
過去、経験がないほどの甚大な被害が広域に発生し、長期間に渡って非常に過酷な状況が続くと予想されています。
この場合、かなりの備えが無ければ、乗り切れないでしょう。
通常なら周辺の地域などから支援が得られるますが、被害が広範囲すぎて、もはや支援する側も被災者となります。
そんな状況ですから、行政など公共の支援はまともに機能しません。
市民生活では、物資の供給、お店の営業などが難しくなります。
そして、元に近いレベルに回復するまで、かなりの期間掛かる事でしょう。
回復までの期間、物資は不足し、品質の悪い品物でも高値で買うしかない環境になっているはずです。
あるいは、買うことすら出来ないかもしれません。
防災意識高めの私がミニマリストの防災を見た感想
率直に言って圧倒的に知識も装備も不足している印象で、悲しくなりました。
ただ、独自の基準で防災備蓄を考えている事。
足りないとは言え、防災備蓄をしている点は評価出来ます。
しかし、1日3リットル×3日分とされている水分はわずか4リットルだけでした。
この時点でどう考えても足りませんが、それよりも致命的な事があります。
それは、簡易トイレの備えが無いこと。
これでは、食事を我慢出来たとしても、自宅に留まる事は難しいでしょう。
ちなみに、トイレ問題を知らないという方はこちらをどうぞ
手に持つしか出来ないライトでは安全な移動は出来ませんし、冬なら暖を取る事すら考えていない様子でした。
この装備では、停電や断水が起きれば、たった1日も家に留まる事は出来ないと思います。
他の方の備蓄も様々な面で不足があるので、物資だけ見ても、いざという時は困ることになるでしょう。
活かされない経験
ある方は、前回の大地震の経験でお菓子一袋だけ持って避難した経験があったようです。
しかし、その経験の結論は・・・、
それで何とかなった。不便は無かった。
という事だったようです。
買い足しはせず、また避難所に頼る事を前提に話が進行していました。
私は、防災という視点で、当然のように人の支援を当てにするのは良いとは思えません。
そもそも、避難所は全ての住人を受け入れる事は想定していません。
皆がこの様な考え方だと、避難所はキャパオーバーになります。
そして、本来支援を受けるべき人が支援を受けられなくなってしまいまうのです。
私はミニマムな考え方で防災は上手く行かないと考えています。
防災では、想定されることに対応するのはもちろん、時には想定を広げて考える必要があるからです。
まとめ
災害対策は、妥当性の判断が難しいです。
しかし、ある程度の無駄は仕方ない犠牲です。
これを拒否して備えなければ、いざという時、
自分と家族は様々な形でツケを支払う事になるでしょう。
凍える寒さの中行列に半日並び、トイレにも行けず、空腹と不安に責められる。
誰とも連絡が取れないし、体調も悪くなる。
避難所では子供は泣き叫び、大人は怒鳴って文句を言っている・・・。
生き残れても、結構な地獄がそこには口を開けているのです。
そうならない為に私は最善の防災を考えます。
皆さんも一緒に備えませんか?