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私はなぜ”滅亡せよ!”と叫ぶのか?防災を他人任せにする人々に対する絶望

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防災を他人任せにして、楽観的に構える人々を見る度にこう叫びたい。

滅亡せよ!

そして、次の事も十分理解して欲しいと思う。

災害対策をしないにも関わらず、支援を求める人は、対策をしている人にとっては迷惑でしかありません

災害時に、支援が受けられず困っても自業自得。くれぐれも文句を言わないように。

本人はもちろん、家族も死ぬほど辛い思いをする覚悟はして下さい。

日本に住んでいて、防災の重要性を認識しない人はいないですよね。

にも関わらず、備えないのなら、助けてもらえなくても文句を言う資格はないと思いませんか?

もちろん、事情があって防災が出来ない方もいるでしょう。

しかし、健康で普通に生きているのであれば、何かしらの対策は出来るはずです。

そんな僅かな努力も怠って、全ては他人(行政や地域)任せ

そんな人々にとっては、災害時に苦しい、シンドイ思いをしない為の対策は優先度が低いのという事なのでしょう。

それならば、災害対策をしない“愚かなる被災者“については、たとえ公的支援であっても、対応の優先度を下げて良いのではないかと思います。

いざという時には存分に困ればイイと私は思います。備えをしている側は高見の見物でもいいですよね。

その人間が普段、防災をしているか?は分からない。

個人的には、災害時、やむ終えず地域の災害支援のお世話になる人と、防災を怠った結果そうなった人を区別して欲しいと思っています。

防災をしていても、家屋の損壊や家に帰れない時など、地域の災害支援のお世話になる事はあります。

そんな仕方無く支援を必要とする人々を優先し、そもそも災害対策を怠った人々に対しては優先度を下げたらいい・・・。

でも、それは現実問題として無理な話です。

倫理的、世論的に賛成が得られたとしても、災害時に普段から防災をしているか?を証明するのは難しいのです。

ならば、どうするか?

関わらないのが最善だと考えています。

だから、私は、そんな人々と関わらないで済むようにしています。

巻き込まれないように、しっかりと防災をします

自分自身も安心して生活出来ますし、家族だっていざという時、安心して過ごす事が出来ます。

ちょっと位連絡が取れなくても極度に不安になることはありません。

災害時のこの差って、本当に大きいものです。

私としては、皆さんにもそんな風に安心して過ごして欲しいのです。

いざという時に、高見の見物が出来る程度の防災を手に入れて欲しいと思ってます。

理想を言えば、このブログを見て、全ての人が防災してくれれば、どんなに安心して暮らせることか。

 

少しでも参考になれば幸いです。

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